新入会員募集
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新入会員 募集!
新入会員募集
未加入の近畿在住の卒業生の皆様、ご入会ください。
大歓迎です。
入会を希望される方は、下記の役員にご連絡ください。
織田博重(19期・事務局長)090-3846-9699
垣本武男(11期・副会長)090-3993-6500
清家由和(27期・事務局長補佐)090-9623-3267 夜間のみ
[お問い合わせ]からのご連絡も可能です。
珍しい草花写真part1 兵頭当長(9期)
宇和島在住の兵頭当長(9期)さんから、お友達の撮った珍しい草花の写真を頂きましたので、紹介します。
お城山の仲間、7~8人が毎朝、六時半からNHKのラジオ体操をします。元船乗りの梶田さんは盆栽の趣味があり、奥様は山ガールです。時折、素晴らしい写真を送ってくださります。私も、いつも楽しみに待っています。
近畿同窓会に投稿して、皆さんが鑑賞をと尋ねると、楽しんで下さるのなら嬉しいとのことでした。
場所ー宇和町(西予市)東多田 喫茶「苔筵」コケムシロ
昨年5 月と今年4月の花を送ります。
今は花がなく苔が青々と見事です。 是非行ってみてください。
8月初旬にはキレンゲショウマが咲くそうです。 **かじた**
龍光院の施餓鬼 兵頭 当長(9期)
駅前の玄関口には、大和田建樹の詩句碑。後ろにはSL、闘牛のモニュメントが見える。
私の菩提寺(龍光院)では、8月20日にはお施餓鬼の行事がある。竹笹に色紙を吊るし、本堂に上がる階段には提灯と燈籠が並び、暗くなっても足元を照らしてくれる。この世にいる家族が境内を飾り、新仏やその他の仏や祭り手のない仏の霊を、檀家の皆様が太鼓を打ち踊り慰安する。来年の再開を願い、境内の中央の池にお舟を浮かべ浄土へと、手を合わし御先祖様を送るのだ。
写真は、3時頃に霊のお見送りをしている光景を撮らせて貰った。その他は龍光院からの宇和島城である。
兵頭当長(9期・宇和島在住)
サッカー日本代表はドイツ代表に学ぼう
ブラジルで開催されたサッカーのワールドカップは、ドイツの優勝で幕を閉じた。時差の関係で、夜中や早朝の試合が多く、寝不足になった方も多かったことだろう。期待された日本チームは、残念ながら1勝も上げることができず、早々と予選敗退してしまった。多くのサッカーファンが、落胆を余儀なくされた。
大会を前に、日本選手の中にはベスト4や優勝を目標に挙げる者もいた。目標が大きい事は悪くはないが、決勝トーナメントに進出したチームなどとの力の差は歴然としていた。オランダのロッベンやスナイダー、スイスのシャキリ、アルゼンチンのマスケラーノ、コロンビアのロドリゲスなどのパワーとスピード、ブラジルのネイマールやアルゼンチンのメッシ、ドイツのミューラー、オランダのファンペルシーなどのテクニックは、日本代表と比較して大きな差があった。誰もがそう思ったことだろう。また、監督の力量の差も小さくなかった。オランダのファンハール監督の采配ぶりなどは、圧巻だった。日本チームのザッケローニ監督も、彼なりの良さががあったことは認めるとしても。
力の差を並び立てたが、日本のサッカーも悲観することはない。とにかく、強豪国と比べまだプロサッカーの歴史が浅いのである。サッカーJリーグは、設立まだ22年。一朝一夕には、世界との差を詰めることは無理である。
子どもの頃、プロ野球米国大リーグの選手が、ペナントレース終了後、単独チームもしくは選抜チームで日本に来て、日本代表と対戦した。大リーグの連中にとっては、観光がてらの手抜き試合であっただろうが、好走守どれをとっても力の差を見せつけられた。特に、パワーの差は如何ともし難かった。大リーグとの差を埋めるのは不可能ではないかと、子ども心に思ったものだ。しかし、どうであろう。現在、その差はほとんど無いと言ってよいのでは。パワーの差は相変わらずだが、バント、走塁、守備、作戦技術等は、ある意味日本の方が上ではないだろうか。イチローや田中、ダルビッシュ、黒田、岩隈などの活躍が、何よりそれを物語っている。オリンピックや世界大会等での日本代表の活躍には、目覚ましいものがある。今年、鳴り物入りでキューバから選手が複数来日したが、日本の投手力のレベルの高さに戸惑っているようだ。日本の投手力は、世界一だろう。国内で10勝できる投手は、大リーグで十分通用する。その日本プロ野球は、今年設立70周年である。何事にも相応な力をつけるためには、年月を要するのである。
日本サッカー協会に対して、一つ注文がある。髪の毛を染めたり、遠征時の服装に品位の感じられない代表選手が目につく。何とかならないのか。このような事を言うと、サッカー通を自認する人の中には、「彼らはプロだから……」などと助け舟を出す人が少なくない。そのような御仁には、「違うだろう。日本代表の意味が分かっていないね」と申し上げたい。海外のチームの中には、当たり前のように入れ墨をしたり、奇抜な髪形の選手が多く存在することも承知している。そういったことを受け入れる文化があるのだろう。日本には存在しない。前述のサッカー通の方には、今回優勝したドイツ選手の中に乱れたが居たかどうかを思い出していただきたい。きちんとした、洗練された姿は、好感が持てた。技術・戦術のみならず基本的な部分までも、ドイツを見習ってほしいと考える。
サッカーだけでなくすべての種目の日本代表は、体力・技術ばかりでなく、あらゆる面において青少年の手本にならなければならない。当然と言えるだろう。日本協会も流行に流されることなく襟を正して、そのあたりをきちんと指導するべきであろう。従わない選手は、代表に選ばなければよいのだ。日本代表の中にも、香川・長谷川・岡崎・長友・内田・今野・吉田・川島などのような、良識を弁えた好感の持てる選手も少なからず居る。
繰り返すが、サッカー日本代表が見習うべきはドイツ代表である。そういった意味において、次期監督にはドイツ人を招聘してほしいのだが……。とにかく、基本的なことがきちんと出来たとき、言い換えれば、不易と流行を弁えることが出来たとき、サッカーにおいても一流国の仲間入りを果たすことが出来るのだろう。12年後には、決勝トーナメント・ベスト4くらいを狙えるように、地道な努力を積み重ねてほしい。
(7/13記 谷口利広)
郷土の神社 ⑰ 大雷神社(吉田町河内)
郷土の神社 ⑯ 三島神社 三間町大内
郷土の神社 ⑮ 「恵美須神社」
恵美須神社 (えびすじんじゃ)
鎮座地
宇和島市中央町1-4-17
主祭神
事代主神(ことしろぬしのかみ)
主な祭礼
7月10日 例祭
由 緒
文禄、慶長の頃に宇和島城の南麓(現在の南予護国神社)の境内に鎮座してあったが藤堂高虎が日吉神社を勧請し山王宮と称し、神宮寺を別当職として社殿を造営のさい宇和島城下に奉遷された。元禄10年に奉行所改築のため袋町に移遷され、その後200年以前ぐらいに恵美須天を勧請して分社するとの申し伝えがある。
忘れえぬいい思い出 一川幸男(13期)
忘れえぬいい思い出
一川幸男(13期)
私は昭和37年東高を卒業した。
同期のボ-ト部員は3年の時インタ-杯2位のいい思い出をもっている。 私はクラブ活動をしていなかったのでそんないい思い出はない、卒後の長い間はあまり感じないと思うが、"よかったな"と彼らは今思っているでしょう。
6年前の同期の忘年会で土居君は涙を流して"思えば過ぎし"を歌った、ボ-ト部同期には4名の故人がいるせいも在っただろうが。
松井 忠先生の右が土居靖弘君
私にとつては3年の運動会の時である。
右の写真は我々8組のものではないのだが,武座ヱ門一揆の仮装をした。多分1年8組か2年か我々の担任かが日吉(鬼北町)に関係のある教師だったと思う。
事もあろうに仮装の前の準備の時、T子さんが私の着付けからメ-クまで全部してくれたのだ下着の段階から、女装でないので口紅はしなかったが、農民の顔にしてくれた。
生まれて初めて、"甘く匂うよ黒髪が"、"母親以外の女性がこんなに私に密着している"、すべて初めての事で、T子さんの顔ばかり見ていると、"あまり見ないで恥ずかしいけん"でした当時"月の法善寺横町"が流行っていてそんな具合だったのでしょう。
卒業までの短い間でしたが忘れえぬいい思い出です。
卒後の同期会にT子さんは殆ど参加していたそうですが、私は60歳過ぎて参加し始めたので再会は一度だけ、5年前他界されてそれが最後でした。
木下博民氏 新刊を出版
宇商の大先輩・木下博民氏(92歳)が大作を出版
ぜひともご一読を
「ずーむいん鬼ヶ城3号」にも寄稿いただいた木下氏が、約4年をかけて書き下ろした大作「岡本家の矜持(きょうじ) 西南四国一庄屋の五百年」(570頁・創風社出版・3,500円+税)を、5月20日に出版した。
本著の帯によれば、「ご先祖が拓いてきた里に繁栄あれかし 西南四国三間盆地の岡本家は、至って平凡な旧一庄屋だが、五百年余、永永と村を護り、幾多の試練を乗り越え、いつの時代も、やすらかな子孫であれかしと祈ってきた。この強い絆で結ばれた岡本家の歴史をとおし、西南四国の人びとの生きざまを伝えたい」と。
木下氏は、小生への手紙で「拙著は、庄屋史というよりも、五百年の農家を辿って西南四国南予の人々の生きざまと捉えたつもりです。特に、こんにち問題になっている日本の農業が、これからどう歩めばよいか。そのヒントになってほしいと思いました」と。
早速読みましたが、よくぞここまで念入りにお調べになられたと、ただただ感心するばかり、久しぶりに内容の濃いものに出会いました。小生などはいい加減で、横着にも話題になった本を本屋で一冊15分くらいで立ち読みしてしまう。本著は、そういった読書の仕方とは一線を画す、文字通りの労作であろう。こういった本物を書き上げる事のできる先輩をもてた事は、それだけで幸せな事である。木下氏は、東京にお住まいである。お近くであれば、総会にお招きしご講演願うのにと残念に思う。
とにかく、みなさんも、ぜひとも一冊ご購入いただいて、本物の読書を体験していただきたい。そして、読み終えた後の達成感を味わっていただきたいものだ。ちょっとでかけて夫婦で飲み食いすると、4~5千円では足りない。そう思えば、安価な買い物である。特に、三間・鬼北・松野出身の方には、欠かせない本だ。
ある意味、家宝とも言えよう。
(平成26年6月11日・谷口利広記)
木下 博民(きのした ひろたみ)
プロフィール
大正11年6月、愛媛県宇和島市で生まれる。昭和15年宇和島商業学校卒業。住友鉱業株式会社入社。昭和17年出征中国湖北省、湖南省および東北ハルビンなど大陸を彷徨。昭和21年実家は宇和島空爆により吉野生村(現、松野町)へ疎開。復員後、井華鉱業株式会社(住友鉱業株式会社の後身)に復職。昭和35年日本電気株式会社(NEC)に移籍。昭和45年NECの分身会社・日電厚生サービス株式会社(現、株式会社NECライベックス)設立と同時に同社へ出向。昭和56年同社専務取締役。昭和58年NECの分身会社・株式会社日本電気文化センター(現、NECメディアプロダクツ株式会社)社長。平成元年退職。著書「評伝森岡天涯 日振島の自力更生にかかわった社会教育者の生涯 」「 八つ鹿踊りと牛鬼 お国自慢お練話 」「 南予明倫館 僻遠の宇和島は在京教育環境をいかに構築したか」「 信念一路 丸島清(市立宇和島商業学校校長)の生涯 」「青年・松浦武四郎の四国遍路-宇和島伊達藩領内の見聞」「宝塚最後の予科練―鳴門事件と少年兵」「板島橋―宇和島の予科練と平和への軌跡」「アメリカ・小売業の原点を捜す旅」 「上海タイムスリップ―元「日軍俘兵」の長江悠々再訪記」「」「戦場彷徨―鯨部隊一兵士の大陸青春記」「回想映画館―昭和っ子、映画っ子の記憶」「中国大陸戦痕紀行」「宇和島ふるさと交友録―私の昭和史」「芝義太郎―幸運を手綱した男の物語」「忘れない中国、忘れたい日本―故地を辿る中国ひとり旅」「中国看看古都訪問術」「サービス修行 (1985年)」「通天閣―第七代大阪商業会議所会頭・土居通夫の生涯」他
短 歌 七 首 平野弘通(9期)
特別寄稿 盆栽に係って 兵 頭 当 長(9期)
兵 頭 当 長(9期・宇和島在住)
バブルの時代に、叔父さんが寒蘭の培養にのめり込んだ。
寒蘭に「豊雪」という品種があり、名前通りの気品のある容姿と透明感のある夢の花を咲かせる。年に一芽、ひと花を咲かせるのだが、この一芽になんと百万から三百万円の値が付くのである。神戸から来たバイヤーが大枚をはたくのを目のあたりにして、ビックリ仰天した事を忘れはしない。叔父さんは、その後も多額の投資をして寒蘭の培養を続けたが、最後には皆枯らしてしまい大損に終わった。私も一鉢貰ったのだが、深入りしなくてよかったと思っている。その叔父さんだが、今ではまったく畑違いの、首ふり三年といわれる尺八に凝っている。
八は鉢でも、嫁方の兄さんから「梅の盆栽を弱らせてしまった。植え替えをしたいのだが」と私に相談があった。盆栽に係って疎い私だったが、いい加減でお人よしの性格、「いいよ」と安請け合いしてしまった。困った時はパソコン頼みと梅の盆栽を検索し、要領は俄仕込みで取得した。だが、それだけでは心細く、ラジオ体操(お城山)仲間の盆栽愛好家Kさんに教えを請うた。
植え替えの適期は過ぎていたが、そんな事は言っておれず、すぐに取り掛かった。習った通り、衰弱している根は三分一程切取った。赤玉土を使ったが、荒いものを下の方に、細かいものは上方にと、これも教えて貰った通りに進めた。木が動かないように、銅線でしっかりと固定させた。剪定だが、失敗は許されぬとお城山の登り口まで運び、Kさんに切って貰った。
兄も九十歳の高齢であり、ご多分に漏れず耳も不自由である。であるから、毎日の水遣りの事など、注意事項を紙に書いてあげた。また、鉢を窓脇に据え置き、鑑賞し易いようにした。兄は以来、水遣りなどの世話がてら、鑑賞する事を楽しみにしている。お蔭さまで、私もこれが契機となり、植え替えや剪定の仕方などを習うことができた。安請け合いしたと当初後悔したが、結果は怪我の功名となった。
兵頭当長(9期)さんは、宇和島・追手通りで「松月堂」という和菓子屋を営まれています。松月堂の「闘牛饅頭」「いちご大福」や「梅大福」などは絶品です。帰省の節は、お立ち寄りください。
「おっとろしあ」4号 我が母シリーズ④ 母のぬくもり
「おっとろしあ」4号に掲載された「母のぬくもり」(平野弘通・9期)を読んで涙が止めどなくこぼれたという声を、何人もの方から聞いた。
みなさんからの要望に応え、ここに再掲する。
我が母シリーズ④
母(おふくろ)のぬくもり
平 野 弘 通(9期)
五十の手習いで、母キクは短歌を始めた。
宇和島地域で永い間教師をされていた内山直先生に教わったのである。作品の良しあしは、素人の僕には判らないが、不思議と心に残るものもあった。
その影響か、いつの間にか僕も見よう見真似で「短歌らしきもの」を詠むようになっていたのだ。
以下は、母と子とが折々に交わした作品である。
この町で 六十四年の 泣き笑い
波頭を越へて 米寿を迎ふ
大正四年津島町の小さな漁村に生まれ、娘時代は紡績会社で働いた。母キクは、由良半島の平井村出身の父又吉と見合い結婚して、十人の子宝に恵まれた(男児ばかり)。今も、六人が健在である。拙宅は寿町にあったが、あの宇和島大空襲で焼け落ちた。
夫逝きて 一人で生きる 古里の
この町が好き 八十路の母は
昭和56年に、父が世を去る。子どもたちはすべて都会に居住しているために、宇和島で一人暮らしを続けている母。何よりもこの土地が、そして人情溢れる朝日町が好きなのである。
時折りに 雪舞ふ一日 病む父を
案じつつ子らの 帰阪して行く
父危篤の連絡を受け、大阪から駆けつけた。一命を取り留めたので、ひとまず帰阪することになった。一人残された母は、車が見えなくなるまで雪の中で手を振り続けていた。
帰阪する 吾を見送る 老いし母
小さき姿は ミラーに消える
その母を、走りながらバックミラーで見ていた僕は、去り難い思いで町内を一蹴した。母は未だ、玄関前に立っていた。
祭りには 旅立つ船で 埋まりし
港さびれて 今は幻
昭和20年代の夏祭り和霊大祭は活気に溢れていた。漁船は大漁旗を飾りたて、内港を埋め尽くした。漁師たちはねじり鉢巻き姿で威勢がよかった。敗戦間もなかったが、町は復興への活力が満ちていた。そして、今は幻と母は詠む。時代の流れがここにもある。
いりこだし 南京昆布の煮炊きもの
和霊祭りよ 母の手料理
和霊祭りのご馳走は、母の得意な野菜の煮物と冷やしソーメンである。久し振りの米飯であるが、外米が混じり、少しパサついていた。しかし、美味い美味いと言いながら弟たちと食べたのだ。
盆近し 子等の帰省を待つ吾は
たぐる思いで 会う日を待つ
主に関西に住む息子たちが宇和島に帰省するのは、「お正月」と「お盆」である。その日を指折り数えて待っていてくれた。数日で、また離ればなれの生活が待っているのに……。
雲湧きて 海を見おろす法華津峠
母待つ故郷 あと三里
30歳くらいまでは宇高連絡船に乗り、予讃線を利用して帰省していたが、いつか乗用車の時代になっていた。峠の車中から見る輝く海と樹々の香り、会話はいつの間にか宇和島弁になっていく。あと少しで母に会える!
母と子の 齢合わせて百六拾
伊予と浪花で 風の声聴く
平成20年1月23日 母キク93歳の誕生日に。
日本一のビル「ハルカス」
故郷の皆様に、今春開業した日本一のビル「ハルカス」をご紹介します。ぜひ一度、訪れてください。
「あべのハルカス」データ/概要
竣工年:2014年
高さ:60階 300m
延床面積:211,900.97㎡
建築主:近畿日本鉄道
設計:竹中工務店・シーザー・ペリ
施工:竹中工務店・奥村組・大林組・大日本土木・銭高組
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43
地上300m。
大阪阿倍野に、高さ日本一の超高層ビル。
2014年3月7日に全館グランドオープン。
総事業費1300億円のビッグプロジェクトで、関西の大手私鉄である近畿日本鉄道が開発を手がけた。高さ300mを超えるビルは日本初。 1993年完成の横浜ランドマークタワー(296m)以来、約20年ぶりに日本一が更新された。
あべのハルカスは百貨店、オフィス、ホテル、展望フロア「ハルカス300」、美術館など複合的機能を備える。
2013年に百貨店フロア「あべのハルカス近鉄本店(近鉄百貨店阿倍野本店から改称)」のタワー館が先行オープン。 2014年2月に全面開業。売り場面積は約10万㎡(タワー館+ウイング館)と、こちらも百貨店としては日本一の規模になった。
オフィスフロアの面積は約6万3000m2で基準階は2400m2。テナントとして奥村組、関西電力、シャープなどの入居が見込まれ、最大5000名が勤務する。
上層階には大阪マリオット都ホテルが開業。
米のホテルグループ、マリオット・インターナショナルの最上級ブランドと近鉄系列の都ホテルのダブルブランドで 客室数は360室。6室あるスイートルームは73m2~162m2の広さを持つ。標準客室の面積は38㎡だ。宿泊者は営業時間外、例えば早朝にでも展望フロアに入場できる特典がある。
なお、ハルカスは造語で「心を晴れ晴れとさせる」という意味の古語「晴るかす」に由来する。 ビルのデザイン設計は日本でも多くの実績をもつシーザー・ぺリが手がけた。
あべのハルカス フロアガイド
58F~60F 展望台(ハルカス300)
57F レストラン
19F・20F 38F~55F・57F 大阪マリオット都ホテル
17F・18F 21F~36F オフィス
16F あべのハルカス美術館・屋上庭園
B2F~14F あべのハルカス近鉄本店
B1F・1F 大阪阿部野橋駅(近鉄南大阪線)
郷土の神社➀ 三島神社 (宇和島市長堀)
三島神社(長堀)
鎮座地
宇和島市長掘2-5-27
主祭神
大山祇神(おほやまつみのかみ)
主な祭礼
10月14日 例祭
由 緒
大同元年(806)大三島の大山積神社より勧請したという。始め尾串森に鎮斎したが、文永11年(1275)現在の地に奉還する(現在地も尾串森と言う)。歴世国守の崇敬社であって、永仁5年(1298)橘忠重は社殿を修めて神鏡を奉納し、後の西園寺公廣は城南、土佐国に至るまでの五郷の総鎮守として尊崇し、永正15年(1519)には社殿を建立、書写の大乗妙典66部を献じた。伊達氏も代々崇敬し、神社の下に馬場を作って正月3日には御野始めの行事があり、延慶2年、貞和元年、永正15年、天正6年、天和3年、元年2年、弘化4年(1848)と社殿再興の記録がある。
郷土の神社② 八幡神社 (伊吹町)
八幡神社(はちまんじんしゃ)
鎮座地
宇和島市伊吹町北通り二区1068番地
主祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
田心姫尊(たごりひめのみこと)
湍津姫(たぎつひめのみこと)
市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)
主な祭礼
1月1日 元旦祭
4月16日 春祭
11月16日 秋祭(例祭)
由 緒
和銅元年(707)九州宇佐八幡より勧請され、和銅5年(712)より祭祀が始まった。
国指定・天然記念物「いぶき」は、文治元年(1185)源義経が伊予守に任ぜられた時、家臣、鈴木三郎重家に植えさせたものと伝えられ800歳余の長寿を保っている。
郷土の神社③ 宇和津彦神社
郷土の神社④ 南予護国神社
郷土の神社➄ 和霊神社
郷土の神社⑥ 八幡神社 (吉田町立間)
郷土の神社⑦ 三島神社 (三間町宮野下)
三島神社(みしまじんじゃ・三間町宮野下)
鎮座地
宇和島市三間町宮野下927
主祭神
大山積命(おほやまつみのみこと)
主な祭礼
3月23日 例祭
由 緒
天平年内に現地に社殿を建立し大山積を勧請。三間郷中野中のとし社務祭典が執り行われた。後に、三間郷総鎮守となる。
郷土の神社⑧ 三島神社 (津島町北灘)
三島神社(みしまじんしゃ・津島町北灘)
鎮座地
宇和島市津島町北灘甲136
主祭神
大山積命(おほやまつみのみこと)
主な祭礼
3月第一日曜日 春祭(祈年祭)
11月3日 例祭 神幸祭
由 緒
もともと現在地より海岸近くにあったそうだが、きちんとした記録は無い。
元弘元年(1331)に、橘元村という神職が現在地で再興したとあり、それ以後現在に至る。
鵜の浜部落の天満神社と宗清部落の賀茂神社を合祀している。
昔は境内に稲荷社もあったが、今は合祀している。
郷土の神社 ⑨ 安藤神社 (吉田町)
安藤神社(あんどうじんじゃ)
鎮座地
宇和島市吉田町東小路甲131
主祭神
安藤義太夫藤原継明公(あんどうぎだゆうふじわらつぐあきこう)
主な祭礼
4月14日 春祭
7月1日 夏祭
由 緒
嘉永2年2月創祀。
明治42年2月村社に列格
安藤公は、寛政5年2月、「武左衛門一揆」で宇和島八幡川原に参集した領民を説得したが志ならず、ついに遺書を認め、全責任を一身に負って切腹しその一揆を治めた。
郷土の神社 ⑩ 清良神社(きよよしじんじゃ・三間町)
郷土の神社 ⑪ 三島神社 (津島町岩松)
三島神社(みしまじんじゃ・津島町岩松)
鎮座地
宇和島市津島町岩松235
主祭神
大山祇命(おほやまつみのみこと)
主な祭礼
10月23日 例祭
由 緒
岩松郷の総産土神として、その氏子区域も広範囲に及んでいる。
郷土の神社 ⑫ 和霊神社(丸之内)
和霊神社 (丸之内)
鎮座地
宇和島市丸之内1-4-3
主祭神
山家清兵衛公頼(やんべ せいべえ きんより)
主な祭礼
4月24日 例祭
由 緒
祭神山家清兵衛公頼公の旧屋敷に社殿を建立し、相殿日吉神社を合併した。
明治27年村社となる。
郷土の神社 ⑬ 三浦天満神社
天満神社 (三浦)
鎮座地
宇和島市三浦2696
主祭神
菅原道真神(すがはらのみちざねのかみ)
主な祭礼
3月19日 春祭(神楽奉納)
10月19日 例祭
由 緒
一條天皇の正暦4年閏10月19日京都北野より菅原道真神を勧請、天満宮と称す。天保年中出火のため社殿その他文書、棟札など焼失し、それ以前は未詳。
天保16年6月12日正殿屋根葺替一宇、中殿屋根瓦葺一宇を再築する。
明治40年4月11日神饌幣帛料供進指定となり、同42年11月1日境外末社五社を合併合祀した。
傘寿を祝う会
傘寿を祝う会
本会の木村茂樹会長と松下徳義幹事長の傘寿を祝う会が、本日(7/5)大阪市京橋の「梅の花 京橋店」において、13時30分から開催された。
木村会長は昨年2月に満80歳になられ、松下幹事長はこの4月に傘寿を迎えられた。諸般の事情から、本日合同でのお祝いの会となったわけだが、本日の席には、松下幹事長夫人もご臨席され華を添えていただいた。
小幡明宏副会長の心温まる祝辞の後、山田副会長の謡曲「鶴亀」の披露があった。乾杯の音頭は、平野弘通副幹事長がとられた。「梅の花」の美味しい料理を食しながら、清家由和事務局長補佐の司会による宴となったが、大いに盛り上がった。特に、山田和子副会長と山木健二郎常任幹事のリードによるゲームでは、全員年齢を忘れ大はしゃぎであった。
また、平野副幹事長や岡村道則常任幹事ら有志による「不易忘れず誠実に」の歌唱などもあった。その間、垣本武男事務局長補佐や福島茂則常任幹事、所用で遅れた今井啓介副会長の心和むスピーチもあった。後半には、梶山幾世会計が会を代表して、「祝い金」を授与した。
私の知る限りでは、近畿同窓会始まって以来の盛り上がり方ではなかったか。私の少ない語彙では、盛り上がりの様子が十分に説明尽くせぬ事が残念である。
最後に、お二人から謝辞があり、お開きとなった。
80歳は、まだまだ青年である。今後なお一層のご活躍、ご発展、そしてさらなる長寿を、全会員で祈念申し上げたい。
皆寄りて 傘寿の宴(うたげ) 面白く
想いを永久(とわ)に
風鈴(すず)の音(ね)ととも
松下徳義
(文責・谷口利広)
郷土の神社 ⑭ 白王神社
白王神社
(しらおうじんじゃ・宇和島市百之浦)
鎮座地
宇和島市百之浦1204
主祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
菊理姫命(くくりひめのみこと)
主な祭礼
10月19日 例祭
由 緒
創立年代未詳。承応2年7月に大旦那三浦左馬進社殿再興の記録がある。
明治43年7月19日同所鎮座の三島神社、山神社を合祀、大正3年3月20日本九島鎮座の九島崎神社、鳥家ヶ森神社を境内神社として合併した。